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東京高等裁判所 平成元年(ネ)2540号 判決 1990年6月27日

主文

一  本件控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人らの負担とする。

理由

一1  本件の事実関係についての当裁判所の認定、判断は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決理由のうち、同一〇枚目裏一行目から同一二枚目裏三行目までに説示のとおりであるから、これを引用する。

(一)  原判決一〇枚目裏一行目の「請求原因1の事実」の次に「(ただし、被控訴人が平成六年七月からのジェット旅客機の運航開始を目指しているとの点を除く。)」を、同八行目の「採択したこと」の次に「、平成二年度の政府提出の国の予算案に松本空港ジェット化整備事業費として三億五〇〇〇万円が計上され、また、平成二年三月一九日には、一二億六三〇〇万円の県営松本空港ジェット化拡張整備事業費が計上された被控訴人の平成二年度の予算案が被控訴人の議会で可決されたこと」を、同一一枚目表一行目の「第五九号証」の次に「、第七一ないし第七六号証、第七八ないし第八〇号証」をそれぞれ加える。

(二)  原判決一一枚目裏一〇行目の「至つているが、」から同一二枚目表四行目の「三八条二項)、」までを「至つていること、さらに、平成二年度の政府提出の国の予算案には、三億五〇〇〇万円の松本空港ジェット化整備事業費が計上され、また、被控訴人は、平成二年二月一六日に決定した被控訴人の平成二年度予算案に、一二億六三〇〇万円(用地取得費七億円、全体実施設計費七〇〇〇万円、周辺道路整備費二億三九〇〇万円等を含む。)の県営松本空港ジェット化拡張整備事業費を計上し、右予算案は、同年三月一九日に被控訴人の議会において可決されたこと(この点は、当事者間に争いがない。)、被控訴人は、右予算に基づき平成二年五月中には国に対し、三億五〇〇〇万円の国庫補助金の交付を申請し、実施設計、用地買収を開始しようとしているが、これに先立ち、同年一月以降、本件空港本体の用地測量、物件調査、地質調査等に着手しており、地権者との用地買収交渉も進行していること、被控訴人は、一応平成六年七月に新空港としての開港を予定し、平成二年六月中には運輸大臣に対する飛行場施設及び航空保安施設の変更許可申請(航空法--以下「法」ともいう。--四三条一項、二項、三八条二項)を行うことを予定しているが、その予定どおりにこれらを行い得るかは必ずしも明らかでないこと、そして、今後本件拡張工事が実際に開始されるまでには、なお多くの航空法上の行政手続、すなわち、」と、同一二枚目表一〇行目の「ならないし、」を「ならないこと、そして、本件空港の供用が開始され、ジェット旅客機の運航がなされるまでには、運輸大臣による工事の完成検査(法四三条二項、四二条一項、二項)、運輸大臣に対する変更した施設の供用開始期日の届出(法四三条二項、四二条三項)、運輸大臣による変更した施設の供用開始期日等の告示(法四六条)等の各種手続を経なければならないこと、」とそれぞれ改め、同一二枚目裏二行目から同三行目にかけての「経なければならないこと」の次に「、しかも、その間には、現在具体的に予測することのできない種々の困難な検討課題の生起することも予想されるのであつて、本件空港の新空港としての開港を予定どおり平成六年七月に行い得るか否かも明らかでないこと」を加える。

2  そこで、控訴人らの本件訴えの適否について検討するに、控訴人らの本件訴えは、本件ジェット化計画に基づいて本件拡張工事が実施され、その結果、本件空港において同計画に基づくジェット旅客機の運航が現実に開始されると、控訴人らの人格権が侵害されるおそれのあることを根拠として、被控訴人に対し、本件拡張工事の差止めを求めるというものであるから、その性質は、将来本件空港においてジェット旅客機の運航が開始されることによつて控訴人らに対し人格権侵害状態が発生することを予防するための一つの措置として、本件拡張工事の差止めを求める訴えであると解される。(なお、控訴人らは、本件ジェット化計画に基づくジェット旅客機の運航と同計画に基づく本件拡張工事とを分離して、後者の本件拡張工事自体のみによつて控訴人らの人格権侵害状態が発生するとは主張していない。)

ところで、将来、請求者の人格権が侵害されるおそれのあることを根拠として、その予防のために、右のような差止め請求をすることが容認され得るか否かについても、大いに問題のあるところである。しかし、その問題はさて措き、仮に一般論として、人格権侵害状態発生の予防措置として右のような差止め請求をすることが容認され得るとしても、その請求の成立要件としては、単に請求者の主観的観点のみから、将来、被請求者の行為等によつて請求者に対し人格権侵害状態の発生するおそれがあるというだけでは足りず、客観的な事実関係に立つて判断して、請求者の主張する被請求者の特定の行為等によつて、近い将来、請求者に対し人格権侵害状態の発生するおそれのあることが確実に予測され、かつ、その人格権侵害の具体的な内容及び程度がいわゆる受忍限度(なお、この場合の受忍限度は、損害賠償請求の場合のそれよりも一層厳格なものと解すベきである。)を超えていることが明らかであるとともに、その差止め請求の内容ないし程度も、一般社会の通念上、人格権侵害状態発生の予防措置として相当と認められる範囲内のものであることを必要とするものと解すベきである。

そこで、現時点における本件の客観的な事実関係について見るに、前記認定の事実からすれば、本件ジェット化計画に基づき本件空港においてジェット旅客機の運航が現実に開始される予定時期は平成六年七月であるから、右運航の開始が予定どおりに実施されるとしても、今から四年後というかなり将来のことにすぎない。しかも、本件拡張工事が控訴人らの主張するとおりに近日中に開始されるとしても、その後、同工事等が完了し、本件空港におけるジェット旅客機の運航が現実に開始されるまでには、被控訴人において、空港用地の買収、測量、各種の調査、設計、拡張工事の実施、飛行場施設、航空保安施設の設置、周辺道路の整備等、幾多の所要過程を履践しなければならないのみならず、運輸大臣の関与する航空法上の各種行政手続をも経由する必要があるのであり、しかも、その間には、種々の困難な検討課題の生起することも予想されるから、本件空港におけるジェット旅客機の運航の開始が本件ジェット化計画で予定しているとおりに平成六年七月から確実に実施されるか否かは必ずしも明らかではない。まして、新空港としての本件空港の供用開始後におけるジェット旅客機の具体的な運航状況、すなわち、いかなる航空会社が、いかなる時間割で、いかなるジェット旅客機を、どのように運航させるかなどの点は、全く未確定であるというほかはない。従つて、本件空港におけるジェット旅客機の運航開始後、その運航により、控訴人らに対しいかなる程度の危険、騒音、振動、排気ガスの発生、その他の損害ないし悪影響が生じるかなどの点についても、現時点では、これを具体的に確定することが困難である。

そうすると、本件ジェット化計画の進行状況が右のような段階にある現時点においては、将来本件空港におけるジェット旅客機の運航が現実に開始された後において、控訴人らに対し、その主張するような内容の各種人格権侵害状態がそのとおりに発生するか否か、また、そのような人格権侵害状態が発生するとしても、その具体的な内容及び程度がいわゆる受忍限度を超えるものであるか否かを確実に予測することは困難な状態にあるといわなければならない。従つてまた、このような状態のもとにおいては、将来、控訴人らに対し人格権侵害状態が発生するのを予防するために、被控訴人において何らかの措置をとる必要があるか否か、また、必要があるとしても、どのような措置をとるのが相当であるかを的確に判定することも困難であるといわざるを得ない。

以上の次第であるから、控訴人らによる本件拡張工事の差止め請求は、少なくとも現時点においては、将来における人格権侵害状態発生の予防措置請求としての成立要件を具備するか否かを的確に判断することが困難な状態にある請求であり、いわば、権利内容が不明確かつ未成熟の状態にある権利(このような権利は、訴訟上の権利行使をなし得る具体的な権利とはいえない。)に基づく請求であるというほかはない。従つて、このような請求を目的とするにすぎない控訴人らの本件訴えは、権利保護の要件を欠く不適法な訴えとして、却下せざるを得ない。

二  よつて、控訴人らの本件訴えを不適法として却下した原判決はその結論において相当であり、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 前島勝三 裁判官 富田善範)

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